昭和18年の企業整備令に基づいて伊丹の3軒の酒造家(武内、武内、新田)が、企業合同に参画して、昭和20年2月伊丹三共酒造有限会社を設立し、その後昭和45年に伊丹老松酒造株式会社に社名変更し今日に至る。中でも赤根屋利兵衛が継承せる酒銘「老松」は江戸積銘酒名寄番付に東方大関としてトップにランクされるなどその評判は高かった。明治期に入り武内利右衛門、武内利平と順次継承したが企業合同の際酒銘「老松」は伊丹三共酒造(有)に引き継がれる。その「老松」を今日まで受け継ぎ発展させたのが文久年間(1861〜1863)赤根屋和助(武内姓)の創業にして、酒銘を「福桝」とし明治期に入り武内和三郎、第3代武内佐次郎、第4代武内和二郎、第5代武内和介と順次酒造業を営み、企業合同を機に伊丹三共酒造(有)の経営を一手に引き受けた第6代武内欣三であり、現第7代目当主武内重治社長である。企業合同に参画したもう一人は、昭和8年新田種蔵の創業になる酒銘「千鷹」を継ぐ新田吉彦である。
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